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#10

挑戦を恐れず、学生だからできる「失敗」から学べ。 工学部 電気電子工学科 川福 基裕 挑戦を恐れず、学生だからできる「失敗」から学べ。 工学部 電気電子工学科 川福 基裕

高校生の頃、ある大学のパンフレットを見ていて、ロボットの研究をしている先生がいることを知った。「これだ」と思った川福 基裕先生は、その大学への進学を決めた。入学したのは、機械工学科。子どもの頃から、宇宙を題材にしたアニメが好きで、ロボットやメカに憧れがあった。
しかし、月日が流れ、川福先生が研究室に配属になる頃には、ロボットを研究していたその先生は、なんとほかの大学へ移ってしまっていた。その先生の下でロボットの研究に取り組む夢は、断念せざるを得なくなってしまったのである。

「What’s NewよりWhat’s Cool」。

当初望んだ研究室ではなかったが、代わりに先生が所属した研究室の担当教員は、その後の川福先生に大きな影響を与えた。今もなお、その恩師との付き合いは続いている。
その先生は、いったん議論を始めると、話題は縦横無尽で、研究の話からスタートしたはずなのに、お互いの愛読書の話や、趣味の話や人生論まで話題は広がり、とどまるところがなかった。気がつくと、研究室の外は白々と夜が明け始めている、なんてこともしょっちゅうだった。

川福先生

たくさんの話を聞かせてくれた恩師の言葉の中で忘れられない言葉が1つある。
「What’s NewよりWhat’s Cool」。
何でもかんでも新しいことに飛びつけばいいってもんじゃない。自分にとって「かっこいい」と思うことをやりなさい。つまり、自分が楽しいと思うことを。

恩師の言葉を意識して身の回りのほかの研究者を見てみると、「新しいから、その研究に飛びついた」という人はあまりいないということに気がついた。例えば最近AIや深層学習などが脚光を浴びているが、その分野の研究者たちは、新しいから、脚光を浴びているからその研究テーマに飛びついたわけではなく、もともとその関連分野の研究に長年取り組んできていた人たちだ。つまり、自分の好きなことをやっていたら、たまたまスポットが当たったに過ぎない。

「What’s NewよりWhat’s Cool」という言葉は、たとえ世の中の人が興味を示さないことでも、自分の好きなものにひたすら没頭して全力で打ち込めば、それがいつしか実となり自信となる。もしかしたら社会から脚光を浴びることもあるかもしれない。そんな恩師の夢と戒めのメッセージが込められているのかもしれない。

「なぜ」を5回繰り返すことで、見えてくるもの。

学生に対しても、川福先生は、同じことを思っている。「楽しくなければ研究じゃない」というのが先生の信念である。しかし、「楽しい」という思いに至るまでには、「苦しみ」があることも知らなければならない。
例えば先生の研究では、無線駆動車両(ラジコンカー)を用いて、車両バネ上の制振制御や微小領域における超精密位置決め制御などに取り組んでいる。自分の作ったラジコンカーが、自分の思いどおりに動く。思った場所(位置・姿勢)に思ったとおりにピタリと止められる。その時のうれしさは、体験してみないとわからないだろう。

ラジコンカー

しかし、思いどおりに動くラジコンカーを作るのは、簡単なことではない。プラモデルを作るのとはわけが違う。当然、さまざまな専門分野の知識が必要だし、時間もかかる。うまくいかなくて試行錯誤の繰り返しばかりだ。

学生たちは、PDCA(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善)を繰り返しながら、結果を求めてあがく。苦しみ、悩む。その苦労を通り越した向こうにしか、研究の楽しさは見えてこない。仮に苦しいからといってその研究を放り出してしまったら、それまでだ。いかにしてその苦しみを解決するか。

先生が学生に「正解」を与えることはあまりない。学生が自分の力で悩みや苦しみを解決するところを見たいと、先生は思っている。
先生は「なぜを5回」繰り返せ、と言う。これは日本を代表する大企業の金言である。さまざまな要因(なぜ)を積み重ねると、最後に真因に突き当たる。「なぜ」を5回積み重ねることで、考えはさらに掘り下げられていく。1回の「なぜ」だけでは見えないことが見えてくる。そして学生たちに、論理的に説明できる力が備わっていく。

相手によって説明するための準備も内容も異なる。

説明能力が大切だと考えている川福先生は、学生たちに「大切なのは誰に対して話すか? を考えること」と指導している。
企業であれば、部長なのか、課長なのか、同僚なのか? それぞれ話す内容も、そのための準備も異なるはずだ。相手が部長なら、綿密な準備と論理的に整理された資料が必要だろう。課長ならば、週1回の報告書のように。同僚なら、相談。それぞれを想定したうえで話すことを心掛ける。単に社会人としてのマナーというだけではなく、技術者として、話す相手の階層や求めていることを考えながら、話し方や内容を決めていく。
技術者はただ技術のみを追求する人ではない。その成果を広くほかの人に、あるいは社会に知らしめるための論理的で説得力のある説明能力が必要なのだ。

素人のように大胆に発想し、玄人として慎重に実行する。

川福先生

先生は、「素人発想・玄人実行」という言葉をよく使う。ある高名なロボット博士の言葉だ。
「発想」は素人のように何者にもとらわれることなく、自由で柔軟であるほうがいい。しかし、その発想をいざ「実行」に移す際には、学んだことの全てを生かし、玄人として慎重に実行する。かといって慎重になりすぎるあまり、失敗を恐れて何もしないということではない。失敗を恐れていると、受け身になってしまう。指示がなければ何もできなくなってしまう。今の学生たちの多くが受け身の姿勢に終始し、言われたことしかこなせないのは、ひょっとすると失敗を恐れているからではないか? と、先生は考えている。

「失敗」は学生のうちにしかできない特権である。社会人となれば、1つの失敗が企業にとって致命的なものになる可能性もある。金額にすればとても1人では償えない額に達する場合もある。だからこそ、学生のうちにこそ、失敗を恐れず挑戦してほしい。結果は、やってみなくてはわからないのだから。
そして、その「失敗」から学んださまざまなことを社会人として生かしてほしいのだ。

やりたいことはあるはずだ。足りないのは、やろうとする気持ち。

川福先生は、研究室への配属を決める際、学生にはっきりとこう言う。
「受け身の学生は来なくていい」。
「まずは自分で考えてみよう」。
これが川福研究室への配属を希望する学生の最低条件である。
先生は、学生から「何をすればいいですか?」と問われることに疑問を感じる。「だったら、君は何がしたい?」と先生は問い返す。学生は黙り込む。話は進まないし、始まらない。

川福先生

多くの学生は「とくにやりたいことはない」と言う。先生は、「でもゲームはのめり込むほど一生懸命じゃないの?」と返す。「そのゲームに臨む気持ちの1%だけでも研究に振り向けたらどうだろう」。また、「興味が湧かない、つまらない」と言う学生に問う。「それをどこまでやってみたのか。話ができるだけの経験を得たのか」。やらずして判断するのは早計でもったいない。かつて恩師との間で交わした縦横無尽な会話の数々、時に酒を酌み交わしながらする相談という名の雑談、そこから受ける種々の気づき。先生が経験した気持ちの高まりを、学生にも体験してほしい。だから、先生は学生がやりたいことを探すための議論や相談をいつでも受けるようにしている。

自分でやってみて、ひょっとするとおもしろさに気づくことがあるかもしれないし、会社に入れば全て自分の好きな仕事だけやっていればよいわけではない。どうして自分が? と思う仕事を任せられる時だってあるだろう。しかし、その仕事を続けるうちに、やがてその仕事のおもしろさや、やりがいに気づくことがあるかもしれない。誰の心にも、やりたいことはあるはずだ。足りないのは、やろうとする気持ちだけだ。

かつて学生時代の先生が、希望とは異なる研究室で学ぶことになってしまったが、やがてその研究のおもしろさに気づいたように。そして恩師からの現在の財産ともいうべき「夢と戒めのメッセージ」を手にしたように、まずは全力で自らやってみる。始まりはそれからだ。

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