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  • #25:力がないわけではない。力が出せていないだけだ。そんな学生の心に点火する、先生の“情熱”という火。

情熱主義

#25

力がないわけではない。力が出せていないだけだ。そんな学生の心に点火する、先生の“情熱”という火。 情報学部 情報デザイン学科 岡田 心 力がないわけではない。力が出せていないだけだ。そんな学生の心に点火する、先生の“情熱”という火。 情報学部 情報デザイン学科 岡田 心

小学校に入学したばかりのことだ。父親がナイフを渡してくれた。これで鉛筆を削れ、と言う。他の子どもたちは、みんな、簡単でしかもきれいに削れる鉛筆削りを持っていた。父親の言いつけだったし、鉛筆削りは買ってもらえそうになかったから、しぶしぶ鉛筆を削った。もちろん、最初からうまくは削れない、失敗したり手をけがしたりしながら、それでも毎日やっていると、だんだんきれいに削れるようになった。父親もきれいに削れた時は、褒めてくれてうれしかった。今思えば、それはまっさらの鉛筆を削って芯を出し、見た目にも美しく尖らせ、使いやすい鉛筆という道具にしていく、モノづくりの楽しさに出会った原点だったと思う。

曲がりくねった道を歩いて、見てきた景色。

情報学部情報デザイン学科岡田心先生の歩みは、決して真っすぐではない。受験に失敗し、浪人して美術予備校で1年間基礎を学んだ。大学には5年間在籍して、卒業時は就職氷河期。とりあえずどこかへ就職しようとしても当てもなかった。しかし、先生は自分で探した小さな自転車メーカーを皮切りに、キッチンメーカー、オフィス家具メーカーを渡り歩き、そして、フリーランスのプロダクトデザイナーとなった。グネグネと曲がりくねり、寄り道し、先生の今がある。それは、大手のメーカーで働くデザイナーであれば、決して見ることのなかった景色、あるいは体験できなかったコトに満ちている。それを今、先生は学生に伝える。

齊藤先生

大学で出会ったのは、それまで自分の周りにいた人たちとは、まったく違う人たちだった。「世の中、こんなおもしろいやつがいるんだ」という発見が、岡田先生をワクワクさせた。身に着けているファッションにしてもグッズにしても、また話すことも全てが新鮮で、毎日が刺激的だった。

そんな岡田先生にとって、大学は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさと刺激に満ちていた。さまざまなモノづくりの設備や道具が使い放題、金属や木材、ガラスなど材料も豊富にあるし、仲間たちと議論しながらモノづくりを進めていくのは、時間を忘れるほど楽しかった。今、思い返してみても、あれは課題制作だったのか、あるいは自主的に何か作っていたのだったか、はっきりしない。まるで小学校の頃の図工の時間のように、楽しかった記憶が鮮烈に残る。

そんな先生にも就職の時期が訪れる。当時は就職氷河期。やっと見つけたのが、小さな自転車メーカーだった。卒業して年度が変わり、すでに5月になっていた。小さなメーカーだったが、中国に製造工場を持っていた。初めて命じられた仕事は、「新しい自転車をつくれ」。
自転車の知識も何もない。しかし中国の工場には優秀なエンジニアがいるから、手書きの絵でもなんでもカタチにしてくれる、という。中国のエンジニアとメールでやり取りしながら、やっとサンプルが届き、喜び勇んで試乗してみた。壊れることはなかったが、お世辞にも乗り心地がよいとは言えなかった。しかし、そこで工業製品づくりのイロハを学ぶことができた。

学生には絶対見せたくはないが、今でも、その時の手描きのデザイン画と実物サンプルは、なぜか手放せない。

デザイナーとしての財産。

小さなメーカーで働くことになった岡田先生は、とにかく何でもかんでも自分一人でやらなければならなかった。自分で企画書をつくり、それをどうやって製造するのかを検討し、工場の生産ラインを決め、最後はどのようにして出荷するのか。さらに、トラックで配送するなら、1台に何個積めるのか、そのために箱はどのようなカタチでどのようなサイズにするのか。もう少し小さなサイズの箱にできれば輸送効率は格段にアップする、そんなことを考えるのもデザイナーである岡田先生の仕事だった。

しかし、そんな経験の一つ一つが全てフリーランスになった時の貴重な財産になっていた。

先生は、仕事の依頼をメールだけで済まそうとしない。どんなに面倒でも実際に出かけて、現場を見て、現場の人たちと話し合う。顔を突き合わせて、議論したり、時にはぶつかったり。そしてそのうち、一緒に飯を食ったり、酒を飲んだり。一緒にモノづくりをしているという関係が深まる。そういう関係が、よりよいモノづくりに生きてくる。

先生らしくない先生、大人らしくない大人。

齊藤先生

大学教員になったとき、昔の友人からこんなメールが届いたことを覚えている。「おめでとう。先生にはなるなよ」。昔から毒舌家の彼は、彼なりの愛情を込めて、先生らしくない先生をめざせということを伝えてくれたのだと思う。あくまでもデザイナーとしての矜持を保ちつつ、それを学生と共有する。上から目線ではなく、学生と同じ目線に立つ。その手法の一つが先生にとって「産学連携」だった。

ある時、お付き合いのあったメーカーから、「学生と一緒に商品開発をしたい」という話をいただいた。当時、先生はいくつかの大学で非常勤講師をしていて、大学の教員にも知り合いがいた。中部地区のデザイン系5大学からやる気のある学生と教員を集め、半年間かけてモノづくりをするプロジェクトを立ち上げた。フリーランスのデザイナーにも参加してもらった。

そこで先生は学生とモノをつくることには、無限の可能性があると気づくことになる。教員と学生という関係ではなく、デザイナーとデザイナーの卵という関係性で、学生と向き合うと、思いもかけない発想に出会うことがある。経験を積んだデザイナーなら、「それは無理だろうな」とか「金かかるだろうな」とあらかじめ考えてしまう。しかし学生には、そんなさまざまな制約がなく自由だ。自由だからこその発想がある。

「知らない間に、こっちはつまらない大人になってしまっているんです。常識や経験にがんじがらめにされて、思考を停止してしまっている。挑戦もしないで、ダメだろうと決めつけてしまっている。それはモノづくりをする人にとっては、決してよいことではない。それを教えてくれたのが、学生の自由で、何ものにもとらわれないのびやかな発想だったんです」

学生と一緒にいることで、先生らしくない先生、大人らしくない大人をめざそうという初心を、忘れずにいられるのだと思う。

学生の中に眠っている可能性。

岡田先生自身もそうだった。受験に失敗して、浪人して、就職先も小さなメーカーだった。そんな自分になんとなくコンプレックスがあった。大同大学の学生にもそういう面があるかもしれない。

齊藤先生

「こんな学生がいました。数年前に卒業しましたが、最初は世の中をなめているような学生でした。今はデザイナーとして活躍していますが、その子がこんなことを言いました。『大人なんてどうせ話を聞いてくれないし、大人になんかなりたくない。ずっと大人が大嫌いだった』って。そんな彼が確か2年生の頃だったかな、『先生を見ていて、大人になるのも悪くないなと思った』と言ってくれたんです。『それが、デザイナーになりたいと思った瞬間だった』、と。それから彼はガラリと変わりました。その話を聞いて、初めて僕にもできることがあると思えた」

無気力な学生はどこかで歯車がうまく噛み合わなかったり、少しやる気を失っているだけだ、と先生は思う。そして多くの学生は、まだまだ真の力を出せていないのだと思っている。力がないのではなく、出せていない。

「彼らの気持ちに、何か火をつけるというようなことができないかな。いったん火がつけば、最初は小さな火でも、やがて大きな炎になって、彼らを変えていく。その着火剤って、実は僕の“熱意”だと思うんですよ。こちらが熱意を持って学生と向き合う。本当に彼らの成長を願って向き合うことが、彼らを変えると信じている」

何かを作り上げたい、デザイナーになりたい、この仕事をやり遂げたいと思った学生に、その道に進めるだけの最低限のスキルを先生は身に付けさせたいと思う。それは、大学4年間の中で、嫌々でも、強制されてでも、課題をやりきることだったりする。そうやって身に付けたスキルと自信は、いつしか一歩を踏み出そうと思った学生の背中を押す。そして、小さな火がやがて大きな炎になる。

最初の一歩が肝心だ。それさえ歩み始めることができれば、きっと学生は、その後の長い道のりを、自分で歩むことができる。そう信じている。

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