1998年12月、私の還暦と東工大教授としての最終講義を併せた記念講演会が開催された。文部省宇宙科学研究所の的川泰宣教授にも講演いただいた。その時、彼は講演開始時刻ギリギリに到着して、終わると同時に宇宙科学研究所にもどって行った。7月に打上げた火星探査衛星「のぞみ」に大トラブルが発生して、緊急の対策会議が開かれるとのことであった。トラブルは燃料供給系の不具合であった。
残された燃料によって火星周回軌道に乗ることが不可能であることが判明した。残り少ない燃料を使って火星へ近づく軌道を探すことが不眠不休で行われた。地球スイングバイによって、わずかな燃料で火星軌道に進入する方法が見つけられた。
元の計画では1年かけて火星軌道に乗り移る計画であったが、スイングバイによっては4年間もかかるものであった。1年が4年に延びても問題ないはずであった。2回のスイングバイによって、「のぞみ」は省エネ軌道に移ることに成功した。
問題ないはずであったが、「のぞみ」は、2002年春の太陽表面での大爆発によって放出された粒子によって、電子回路に深い傷を負うという不幸なできごとが発生した。
のぞみが火星に最接近する5日前の12月9日、遂に「のぞみ」を火星から遠ざける指令電波が送られた。火星への衝突を避けるためであった。「のぞみ」には滅菌消毒がされていなかったので、万が一、火星に衝突した時、地球の細菌を持ち込む心配があったからだ。
「のぞみ」には、27万人の一般市民の名前を刻んだ銘板が搭載されていた。それは半導体製造技術を利用して、応募者の名前を縮小して刻んだ銘板であった。2003年12月9日、27万人の想いを載せた「のぞみ」は、火星から遠ざかり、太陽系を永遠に旅する衛星になった。
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