秋山豊寛さんと話をすることができた。秋山さんは日本人最初の宇宙飛行士であり、宇宙を飛んだ初めてのジャーナリストである。彼がソ連のソユーズロケットで宇宙ステーション・ミールを訪問してから13年が過ぎた。
1991年には、毛利さんがスペースシャトルに乗って、日本人最初の宇宙飛行士になるはずであった。私は毛利さんの宇宙実験の裏方として、最初の準備作業を行っていたころの話である。
TBS(東京放送)は創立記念事業として、社員を宇宙へ送る計画を着々と進めていた。遂に90年12月、外信部デスクの秋山さんが9日間の宇宙飛行を行い、無事帰還した。
私をはじめ、当時の宇宙開発事業団関係者にはショックなできごとであった。我々のプロジェクトは日本最初の宇宙飛行士を誕生させることが大きな目的であった。先を越された。民間の放送局がソ連の宇宙ステーションに社員を送ることなど誰も考えていなかった。悔しさ一杯でテレビの実況にかじりついていた。
帰還後、秋山さんは立花隆さんとの対談の形で、分厚い著書「宇宙よ」を出版した。秋山さんの体験が詳細に語られているこの本を通して、彼を理解したと思った。間もなく、秋山さんがTBSを退社して福島県で農業をやると聞いた時、田舎にいて時々都会で講演をして生計をたてる華麗なる転身をしたと思った。宇宙帰還後の秋山さんの書いたものを目にする度に、素直な気持ちで読むことができなかった。
去る10月13日、世界宇宙飛行士会議のパーティで、やっと念願の秋山さんと話をすることができた。秋山さんが農業に転向したのは本気であり、彼が真剣に地球環境問題に人生を捧げる覚悟であることを知り、ショックを受けた。きっと福島で農業をやりながら、大地にのめり込んでいったのだと思った。
日本人最初の宇宙飛行士として誇れる人物であることを知り、ホッとし、うれしい出会いであった。
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