2月1日の真夜中、テレビを見ていた家の者から、スペースシャトル事故というテロップが出ていると起こされた。一瞬、17年前のチャレンジャー号事故のことを思いだして、全身に悪寒が走った。
この飛行には我々が3年かけて準備した実験試料が乗っていた。実験が無事終了して、コロンビア号が帰還体制に入ったとの通知をメールで知らされ、ホッとして布団に入ったばかりであった。
何よりも宇宙飛行士の安否が気がかりであった。午前1時には絶望が報じられた。
私は昨年の夏に、「日本企業はNASAの危機管理に学べ!」(扶桑社)と題する本を出版して、スペースシャトルはいつ事故が起きても不思議のない状態にあると書いた。不幸な予測が的中し、改めて宇宙飛行の難しさに人間の能力の限界を感じた。
17年前のチャレンジャー号事故は、現場技術者の警告が打上げ責任者に伝わらなかったという、NASAの組織の問題が最大の原因であることが指摘されていた。NASA組織は改められ、シャトルの改修が行われた。その結果、シャトル打上げと運航は1回500億円以上という、とんでもない金額になった。
初飛行以来23年の老朽化したコロンビア号は、今回の打上げ時に、何と17回の打上げ延期が行われた。コスト削減のために、整備は民間企業に委託されていた。沢山の企業が分担して整備を行うために、どうしても、それぞれの領分との境目が疎かになる。以前は名人級のNASAの技術者が気を配っていたが、彼らのほとんどは経費削減の嵐の中で消えていった。
手を抜いた人間は誰もいなかったが、機体の疲れ、組織の疲れが溜まって、不幸な事故が起きたと私は考えている。原因が究明され、さらに安全性を高めるための改修が行われるであろう。その結果、打上げコストが1回1,000億円になるかも知れない。いくらNASAと云えども、この負担には耐えられないであろう。
人間を宇宙へ送るコストは、安全との引き替えで決まる。命は地球より重いなどと、理想が通じない世界なのだ。今後も100回に1回の惨事は避けられないことを覚悟すべきであろう。それでも、私のように宇宙へ行きたい人間は少なくないはずだ。それほどに宇宙には人類を惹き付ける何かがある。
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