飛行機屋がソロと云うと、それは初めての単独飛行を意味している。私のソロは1985年の初夏、アメリカ・ニューメキシコの砂漠であった。
ニッポン放送の井筒和幸映画監督の趣味を語るコーナーに出演して、私のソロの感激について語る機会があった。このラジオ番組は首都圏ローカルなので、名古屋では聴くことができない。ここに紹介しよう。
1年間予定のアメリカ滞在期間の半分が過ぎた頃、宇宙飛行士を目指すなら飛行機のライセンスぐらいは取ったほうがよいという妻の言葉に押されて、町のはずれの飛行場で訓練を受けることになった。訓練は早朝、授業は夕方勤務後にしてもらった。
訓練機はセスナ172型、森林パトロールに使用される、スピードは出ないが安定した飛行が売り物の機体であった。訓練が進み、単独飛行ができると判断されるとソロの許可がでる。仮免許のようなものである。
私の場合、なかなかソロの許可がでなかった。日本語のテキストを持って行かなかった上、管制官の現地なまりの英語が聞き取れず、教官はいつも心配していた。
帰国まで2ケ月を割ったある朝、教官と一緒の飛行が途中で中断、ソロが言い渡された。実は前々回から、いつソロの許可がでても良いように、目立つ赤いポロシャツを着ていた。感激のソロであったが、いつものように着陸が心配であった。どうも勘が悪いらしい。
何とか無事に3回の離着陸を繰り返し、教官の講評を聞く。その後、彼ははさみを取り出し、シャツの背中を切り取り、ソロを証明するサインをして、飛行場待合室の壁にホチキスで留めた。飛行機野郎の仲間入りであった。
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