今でもあの日のことを考えただけで、私の胸はしめつけられる。1986年1月28日午前11時38分に打上げられたスペースシャトル・チャレンジャー号は73秒後に爆発を起こし、7人の宇宙飛行士が亡くなった。
チャレンジャー号には2人の女性飛行士が搭乗していた。その一人が高校教師のS.マコーリフさん(当時37歳)だ。当時、NASA(アメリカ航空宇宙局)はティーチャー・イン・スペースというプロジェクトをスタートさせ、その第1号に選ばれた先生がマコーリフさんである。彼女は宇宙から全米の学校に向けて授業を行う計画であった。
よりにもよって、高校教師を乗せたスペースシャトルが爆発するなんて、神様はなんという意地悪をするかとNASAの関係者ばかりでなく、日本人初の宇宙飛行士誕生プロジェクトに参加していた私も、我がことのように悲しみもひとしおであった。
宇宙飛行士が飛行する時、交代要員を準備するのが普通のことである。この交代要員はバックアップ飛行士とよばれ、本命の飛行士と全く同じ訓練を受ける。マコーリフさんのバックアップは、当時34歳の女性小学校教師のB.モーガンさんである。彼女は地上からマコーリフさんの打上げを見守っていた。
モーガンさんは事故後、アイダホ州の小学校にもどり、教師を続けながらNASAの教育部門に協力して、次の機会を16年以上も待っていた。彼女は「宇宙への夢を子供たちに伝えるというマコーリフさんの遺志を継ぎたい」と宇宙飛行の希望を持ち続けている。
最近、ついにNASAは、事故後16年を経て、ティーチャー・イン・スペース計画の再開を決定した。モーガンさんは来年スペースシャトルに搭乗することになった。成功を祈らずにはいられない。
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