「68年の人生の内でこれほど感激したことがない」
8月29日、H-2Aロケット打上げ直後の記者会見で宇宙開発事業団(NASDA)の山内秀一郎理事長が語った言葉である。彼は昨年7月に、理事長に就任後の1年間「H-2Aの成功なくして日本の宇宙開発はない」と、このロケット打上げに執念を燃やしていた。
山内氏は長年JRの運転計画を担当して、事故を劇的に減らし、JR東日本の会長を務めた人である。一見、豪放でタフな人であるとの印象であったが、この1年間に、胃潰瘍が3回、失神が4回あったという。失神は心労が原因と思われる。
H-2ロケットは1994年以来5機続けて成功した後、98年と99年2度続けて打上げに失敗した。製作済み1機の打上げを中止して、H-2Aの開発に専念することになり、新しい司令官として山内氏がしょうへい招聘された。
私のNASDA本社のオフィスはH-2Aロケットを担当する宇宙輸送本部と同じフロアの隅にある。2度目のH-2打上げ失敗以来、このフロアにはいつも、ピーンと緊張が張りつめており、笑い声を聞いたことがない。
H-2にAの記号がつくのは、改造型という意味である。どんな改造かというと、製造打上げの費用を半分にすることが目標である。
山内理事長は些細なことでも、決して妥協はしなかった。
2月打上げの予定であったが、小さなトラブルが見つかり、打上げは半年延期された。現場の技術者は泣いて、2月打上げを主張した。しかし、彼は断固延期を決定した。
私は繰り広げられた2年間の人間ドラマをすぐ側で、固唾をのんで見守ることができた。
おめでとう、H-2Aの打上げ成功。
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