宇宙飛行士向井千秋さんのご亭主は女性から見た理想の夫として講演会に引っ張りだこである。
1986年1月スペースシャトル・チャレンジャー号が爆発して7人の飛行士が亡くなった悲しい事故があった。このため毛利衛、土井隆雄、内藤千秋(後に向井)の3人の飛行士候補者の訓練計画がストップしたことがあった。
3人の宇宙飛行士の卵と週1日、宇宙実験について英語で勉強する。これが私に宇宙開発事業団から与えられた任務であった。
このプログラムは4月から始まり12月で終えた。最後の日の終了間際に千秋さんが、「私あさって婚姻届けをだします」と突然言ったので、一瞬何のことか分からなかった。
彼女にそんな男性がいたなんて、9ヶ月も顔をつき合わせていたのに、分からなかった自分に腹立たしかった。それから彼女は結婚相手のことについて口にすることはなかったので、彼と上手くいってないのだろうと勝手な推量をしていた。
1994年、向井千秋さんが最初の飛行をした後に出版された夫・向井万起男氏の『君についてゆこう−女房は宇宙をめざした』(講談社)を読んで、やっと謎が解けた。
「君のために私の全てを捧げる」と恥ずかしげもなく、夫君は書いている。彼は慶応大学の基礎医学の助教授(当時は講師)である。医学部の学生時代に身元不明者の遺体登録の宿直アルバイトで一緒になったことが縁でつき合いが始まった、と書かれていた。
向井千秋さんは第2回目の宇宙飛行後、ヒューストンのジョンソン宇宙センターでアメリカ側研究者の宇宙実験の支援を行っており、ご亭主は東京で、毎晩彼女に電話をする生活を送っている。
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