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建設中の国際宇宙ステーション、 2006年7月15日撮影。(NASA提供)
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私は1985年以来21年間にわたって、国際宇宙ステーション計画に何らかの形で関与してきました。完成予定の2009年には私は70歳を迎えます。これが無事完成し、何らかの形で私自身の人生の区切りをつけることを切望しています。最悪の事態はスペースシャトル事故で国際宇宙ステーションの建設が放棄されることです。 国際宇宙ステーション計画はアメリカ主導で1980年代中頃にスタートした巨大プロジェクトです。アメリカ、日本、ヨーロッパ、カナダの連合による、ソ連への政治的なデモンストレーションが最大の目的でした。国際宇宙ステーションの建設にはスペースシャトルが資材運搬船として不可欠です。このためにNASAは4機のスペースシャトルを建造しました。 1986年スペースシャトル・チャレンジャー号が打上げ時に爆発事故を起こし、7人の飛行士が亡くなりました。国際宇宙ステーションを提唱したレーガン大統領は直ちに代替機の建造を命じ、エンデバー号か建造されました。毛利飛行士が2回搭乗したのはこのエンデバー号でした。 2003年にコロンビア号が失われて、現在は3機体制です。数年以内に交換部品供給用として1機が退役します。最後は2機体制で2010年までに15回飛行しなければ、国際宇宙ステーションは完成することができません。早ければ2007年末に土井飛行士が搭乗して、日本の宇宙実験室の補給部が取り付けられる予定です。その後、直ちに本体の与圧実験室がスペースシャトルによって打上げられます。その後、第3番目のモジュールとして、暴露部が打上られます。
NASAには、月に人を送ったアポロ計画以来のCAN DO(なせばなる)文化が時々目を覚まして、安全重視とスケジュール重視の際どい綱渡り運行が行われるでしょう。スペースシャトルの大きな事故が発生した場合は、NASAは直ちに国際宇宙ステーション計画そのものを中止することででしょう。 NASAが提案した国際宇宙ステーション計画を承認したのは共和党のレーガン大統領です。その後、民主党のクリントン大統領時代に、あまりにも膨らむ予算に、宇宙ステーション計画中止が議会に提案され、一票差で否決されるという際どい瀬戸際に追い込まれたことがありました。ソ連崩壊後のロシアをパートナーとして巻き込むことによって、国際宇宙ステーション計画は首が繋がりました。 その後、共和党のブッシュ大統領は国際宇宙ステーション計画とスペースシャトル予算を大幅削減するためにオキーフ氏を長官としてNASAに送りこみました。予算削減の最中で2003年コロンビア号分解事故が発生しました。事故調査報が完了し、2005年オキーフ長官は退任しました。その後、長官に就任したグリフイン氏から信じられない不用意な発言が飛び出し、驚かされることがあります。 オキーフ長官は行政職出身に対して、グリフイン長官は深宇宙探査の宇宙専門家です。確かに膨れ上がったスペースシャトル運行と国際宇宙ステーション計画予算がNASAの新しい宇宙探査計画を圧迫しているのは事実であると思います。グリフイン長官は飛行士の安全が損なわれないよう最大の配慮を行うが、

国際宇宙ステーション完成予想図、 中央手前が日本の宇宙実験室(JEM)(NASA提供)
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機体については、打上げ時のダメージが大きい場合は直ちに廃棄する考えを表明しました。このことは国際宇宙ステーション計画の中止を意味しています。 自分で種を蒔いて、後始末を時の運に任せようとするNASAの身勝手によって、日本はじめ国際宇宙ステーションに参加している国々は翻弄されており、これに青春を賭けた多くの技術者の人生すら左右しています。あと15回のスペースシャトル飛行の無事を祈るのみです。
(以上、2006年記述)