
TOP > 飛行再開 > スペースシャトルへの私の想い
日本が国際宇宙ステーション計画に参加することが内定したのは1986年のことでした。NASAのスペースシャトルの半分を日本が借りて宇宙実験を行うFMPT(第1次材料実験計画)に私が参加したのが、1979年でした。スペースシャトル利用の流れの延長上に登場した国際宇宙ステーション計画にも最初から参加することになったわけです。 1999年大同工業大学長に就任以来も国際宇宙ステーションの利用計画に一貫して関与してきました。現在では宇宙航空研究開発機構の技術参与として、学長業と平行してこの業務を担当しています。国際宇宙ステーション計画に参加したのが、1985年秋からですから21年間が経過したことになります。
スペースシャトルの運航も、国際宇宙ステーションの建設もスケジュールの遅れとの戦いでした。最も痛かったのは2003年2月1日のスペースシャトル・コロンビア号の分解事故でした。その年の8月、事故調査委員会はNASAに対して厳しい勧告を行いました。
それから、2年半、NASAは委員会の勧告を実行する最大の努力を行いましたが、「スペースシャトル打上げ時に、燃料タンクや飛行体から一切の脱落物を出してはならない」との最重要項目をクリアすることはできないまま、飛行再開期限を迎えました。
2005年7月、野口聡一飛行士を乗せた再開飛行(RTF, Return to Flight)1号機が打ち上げられました。問題のあった飛行でした。さらに改良を行い、1年後の2006年7月、RTF2号機が打ち上げられ、無事に帰還しました。
スペースシャトルは老朽化しており、2010年には全てがリタイアすることになっています。それまでにあと15回の飛行ができなければ、国際宇宙ステーションは完成しません。なんとか、あと15回無事に飛行してほしいと願っています。しかし、絶対に事故が起こらないという保証はありません。