
TOP > 教育論 > はじめに
名古屋市南部に位置する大同工業大学は甲種工業学校を経て、1964年に大学としてスタートしました。現在の学生数は約3,500人であり、典型的な中規模理工系大学です。本学は創立以来、社会が本当に必要とするエンジニアの養成を目指した工業教育を着実に行ってきました。その甲斐があって本学は常に就職率100%を堅持してきました。
1992年をピークとする18歳人口の減少を忠実に反映するように、過去10年間本学の志願者は減り続け、このままでは近い将来、危機に瀕することは明瞭でした。これに対して経営側ばかりでなく、危機を感じた教職員側からも沢山の提案が行われ、各種の改革が試行され始めた1999年4月に、大学経営に全くの素人である私が学長に就任しました。
最初に私が感じたことは、本学が我が国で二番目の夜間主コースの導入や学生による授業評価を初めとして、先駆的な試みが大胆に行われている割に、それぞれの想いのベクトルの向きがそろっていないことでした。この大学には、私が思ってもいないアイデアが溢れていると感じました。私の役割は、アイデアを出すことではなく、教職員のベクトルの意見の方向をそろえることであることが直ぐに分かりました。
オーケストラの指揮者の仕事は、演奏者達を一つのうねりに乗せることであると思います。幸い優秀な演奏者に恵まれた大同工業大学であるから、教職員、それぞれの想いを一つの方向にそろえ、その想いを社会に発信することができれば、本学は生き残り、発展できると確信するようになりました。
その一端を本学のホームページの学長挨拶に述べました。多少、宣伝臭いところもありますが、そのまま転載することをお許し下さい。
大同工業大学では2002年4月に情報学部が発足し、工学部だけの単科大学から複数学部の大学になりました。情報学部は理工系志願者ばかりではなく、文系の学生も受け入れ、卒業時には全員を情報のプロとして社会に送り出す計画です。
大同工業大学は六三年の歴史をもつ大学です。さらにそのルーツをたどれば福沢諭吉の婿養子である福沢桃介にたどり着きます。桃介翁は「電力王」と呼ばれ、電気・ガス・鉄道等の事業を成功させた歴史的人物です。
2000年12月には創立60周年を記念して建設された滝春新キャンパスが完成しました。このキャンパスには機械工学科、情報機械システム工学科、電気電子工学科、情報学科があります。2002年3月には建築学科と都市環境デザイン学科がある白水キャンパスがリニューアルしました。この二つのキャンパスの距離ははわずか徒歩3分です。
大同工業大学の自慢は、創立以来、狭い殻の中に閉じこもることなく、社会や企業と強力な連携を行ってきたことです。その結果、本学は中部日本における産学共同研究のメッカと云われるほどになりました。
本学の使命は、いつも社会と一体となって、企業が本当に必要とする人材を育てることです。大同工業大学は中部圏にある私立大学の中で最も就職内定率の高い大学であり、現在の厳しい不況下にありながら内定率100%を堅持しております。このことは、本学が常に社会の要請に応えている証拠です。
現在、私がもっとも力を入れていることは教育改革です。毎日が楽しく、もっと勉強したくなる大学に変えることが、本当の教育改革であると考えています。今まで以上に、学生の視点に立った教育重視型大学として最大の努力を行う覚悟です。
一層のご声援、よろしくお願い致します。