日本最古の文字発見

4世紀初頭のよろいに「田」

熊本・玉名市の柳町遺跡

熊本県玉名市の柳町遺跡から出土した4世紀初頭(古墳時代前期)の木製よろい(短甲)の一部に「田」とみられる文字が書かれているのが見つかり、同県教委と検討会議(座長・甲元真之熊本大教授)は14日「日本で書かれた最古の文字」と発表した。一緒に出土した土器が、これまで最古の文字とされた三重県嬉野町・片部遺跡の「田」の字が書かれた土器よりも、古い型式とみられることから、文字の書かれた時期も20−30年さかのぼるという。甲元教授は「文字という意思伝達手段が早い時期から使われたことがうかがえる重要な史料。畿内など古墳文化の中心地以外での発見により、当時の文化が予想以上に広く浸透していたことも確認できた」と話している。

三重県嬉野町・片部遺跡の20−30年古く

文字が見つかった木製短甲の一部とみられる棒状の木片(長さ7.8cm、幅約1.1cm)。短甲を構成する板の継ぎ目部分に、留め具として取り付けられていたらしい。裏側の平面部に約5mm四方の文字とみられる黒い跡が五つ並び、うち一つが「田」の字と判定された。残る四つは解読作業中という。判定の理由として、同数委は@五つの跡が等簡隔に配置されている A形がそれぞれ違う B「田」の下辺部を狭く書く特徴が同時代の中国で書かれた文字と類似しているなどを拳げ、記号や紋様の可能性は低いとしている。書かれた方法や材料は不明だが「染料などと筆で書かれた」と「焼き印のような手法」との二説が検討されているという。 片部遺跡の文字は一部の線が欠けており「文字ではない」などと論争になったが、柳町遺跡の文字は完全な形で、筆で書かれたような柔らかい線もあり、検討委員9人とも文字と判定した。片部遺跡の発見以前は、千葉県市原市の稲荷台1号墳(5世紀中期)で出土した鉄剣の銘文が国内最古の文字で、文字の普及は5世紀以降とされていた。しかし、中国との交流などから那馬台国時代(3世紀)での文字の使用を指摘する学者は多い。委員からは「弥生時代の木製品から文字が見つかる可能性も考慮すべきだ」との声も出ている。

片部遺跡の文字

1995年末、三重県嬉野村の片部遺跡から4世紀前半の土器が出土し、口縁部分に「田」とみられる約2.5cm四方の文字が見つかった。研究者らで構成する検討委員会と町教委は「日本で書かれた最古の文字」と発表したが、字画の一部が欠けていることなどから「記号ではないか」「別の文字ではないか」などいった論争が続いている。

柳町遺跡

熊本県玉名市の菊川から約500mの低湿地にある弥生時代から平安時代にかけての複合遺跡。古墳時代初頭は短甲や弓などを備えた拠点集落で、交通の要所として重視されたとみられる。国道のバイパス建設に伴い1994年から発掘調査が続けられている。

「参考資料」:中日新聞:平成9年2月14日


文責:事口壽男

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Revised 9 Oct. 1996