新・日々雑感(文庫)

2006.11.1 〜 2006.11.30

■ 2006/11/30 (Thu)  Bridge Over Troubled Water

「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」、60年代70年代に10-20代であった我々には神様のような存在であるサイモンとガーファンクルの代表作だ。「讃美歌になった愛の歌」との副題のつくTV番組(再放送?)に感動した。海を渡った南アフリカでゴスペル風「Bridge Over Troubled Water」を歌ったのがアレサ・フランクリンという女性だそうだ。初めて聴いたが、心に響いた。CDをさがして、手に入れようと思った。
 

■ 2006/11/29 (Wed)  トラバーユ

みるともなしに、みていた「飛び出せ、定年」というNHKの番組。
鬼と呼ばれた敏腕刑事が、53歳で早期退職し3年間修行をして、僧侶になった・・そうだ。もちろん、つらいたいへんな修行だろうが、そして、きっと難しい試験なんかもあったにちがいないだろうが・・・なんとなく、うらやましさも感じた。
 

■ 2006/11/28 (Tue)  雪おこしの雷

明日は東北地方で、雪おこしの雷が鳴るのだそうだ。天気予報が言っていた。
 

■ 2006/11/18 (Sat)  ひとつ足りませんが・・

新聞の挟みこみ広告の牡蠣入りチャンポンがうまそうだったので、割引クーポン券を切り取って食べに行った。ついでに餃子も注文した。チャンポンも餃子もおいしかった。

餃子の皿を持ってきたウエイターさんが「手違いで、ひとつ足りませんが、あとで持ってきますので、しばらくお待ちください」。どうやって、ひとつ足してくれるのかな、と興味津々だった。小皿に3つ入れて持ってきた。こういうやり方しかないか・・

ところで、餃子は一個、二個?・・一袋・・一包・・どう数えるのだろう。
 

■ 2006/11/16 (Thu)  キナコモチ

20円のキナコモチなるお菓子がコンビニのレジに置いてあった。子供のころ大好きだった駄菓子屋の売り物のよう。懐かしさのあまり、1個買ったのは先週のこと。

弱酸のpHを求める式を導くために近似を使う。電離度αは1に比べて、ずっと小さいので、1―α=1とするということ。授業で、ここのところ、次のように、たとえ話をした。

「1万円もってたとしよう。コンビニで20円のキナコモチを買った。残金は9980円だけど、まあ、大雑把には、1万円持ってるって、言ってもいいよね」。

誰も反応しなかった・・・
2〜3人はニヤッとしたような気もする。気のせいかもしれない。
 

■ 2006/11/15 (Wed)  せいぜい(精精)

言語表現法演習の授業で、学生(1年生)たちに、授業で先生たちが使う用語あるいは言葉遣いで理解できないものはないか?と質問してみた。「閻魔帳」、これは全員(6人)知っていた。「ゼロックスする」、誰も知らなかった。「青写真をつくる」、一人。「計算尺」を誰も知らなかったのは驚きだったが、当然か。さらに名古屋方言などに話題はおよび、授業はもりあがった。

そんななか、一人の学生S君が、聞いてきた。「「せいぜい」って、どんなときに、使います?」最初質問の意味がわからず、何回か言葉のキャッチボールをした。S君の言いたいことは、次のようだった。

「せいぜい(精精)、がんばれよ」と言われたとき、「どうせ、君はできないだろうが、がんばってみな」という意味でとらえるのだが、それでいいのか?

というのだ。私も「せいぜい、努力してみてね」という言い方を学生に、たまにしているかもしれない。もちろん、「君はできないだろうが・・」なんてことは、まったく含んでいない。「一生懸命に」といった意味で遣っているつもり。S君にはそう説明して、言った人は決して意地悪な意味で言ったのではなく、単に励ましただけと理解してもらった。

辞書で確認してみると、たしかに「せいぜい(精精)」には、肯定的と否定的な両方の要素があるようだ。後者は、たとえば、「がんばったけど、今日の試験は、せいぜい、50点どまりだ」などのように使う。

何気なく遣う言葉が、ひとの心を騒がせることがある・・言葉遣いは難しい。
 

■ 2006/11/10 (Fri)  S棟6F

S棟6階の授業開発センターに週に2回はいく。名古屋市を南端から一望できる眺めのいいところだ。
 

■ 2006/11/09 (Thu)  蜜柑

蜜柑のおいしい季節になった。愛知県はこの時季、安くて新鮮な蜜柑が楽しめる。11月から12月のはじめ・・・年末年始を過ぎると甘くなるが、味は落ちる(と思う)。
 

■ 2006/11/08 (Wed)  理科離れ

小学生の理科離れの進行は、ますます加速しているとのことである。そんな思いは常々持っていた。外部組織との連携で、近隣の子供たちに化学実験を教える短期教室を、来夏開催してみないかという打診があった。前向きに検討することとした。
 

■ 2006/11/07 (Tue)  天使の梯子

急に寒くなった今朝、「天使の梯子」を見た。隠れた太陽からの光芒が雲の合間から地上に降りそそぐ様子をいう。斜めの光の筋はチンダル現象によるものだろうが、天にかかる梯子のように見える、ということのようだ。この美しい自然現象はこれまでに何回も見ていたが、「天使の梯子」と比喩することはつい最近知った。同名のテレビドラマを2〜3週間前に観たが、そこに登場してきた。

「天使の梯子」については、ひとつの思い出がある。カリフォルニアに住んでいたころだから、もう16-17年前のことになる。夏休みに家族でドライブ旅行をしていて、ユタ州のセント・ジョージという町を訪れた。キリスト教の一派がつくった町で、立派な教会があった。たまたまか、それを見学していたのは私たちだけであった。外から眺めて「立派なものだね」と感心して立ち去ろうとしたら、中から優しそうな年配の女性が出てきて、日本語でも説明してやれるから中に入れ、と熱心にすすめてくれる。急ぐ旅でもなかったので教会に入った。いろいろ案内していだいたが、最後に日本語のビデオを見せられた。布教を目的とするものだった。そのなかに、「天使の梯子」が出てきて、天に召された老人たちが、列を成して昇っていくという“荘厳な”シーンがあった。

ビデオが終わった後も老婦人は話をしたそうであったが、早々に引き上げた。教会を出たあと小学校低学年だった娘と幼稚園児の息子が、同じく、真剣にきいてきた。「あれは、本当のことか。死んだら、ああやって雲に登っていくのか?」 私の回答はしどろもどろだった。「本当ではないが、絶対嘘かと言われると、それも・・・」要するに、答えられなかったのである。「???」の子供たちは、「おとうちゃんは、ホントは、何にも知らないひとだったのだ」と思った様子だった。それ以来か?現在に続く状況は。

成人した二人に、次に会ったとき、この日のこと、憶えているかどうか、きいてみよう。
 

■ 2006/11/05 (Sun)  筋肉痛

一昨日の後遺症。昨日より今日のほうが痛い。
 

■ 2006/11/03 (Fri)  鎌ヶ岳

S川先生の山登りの会に飛び入り参加。

鈴鹿・鎌ヶ岳にいった。下りたあと、湯の山温泉につかり汗を流して帰ってきた。

湯につかり みあげる月 十三夜
心にしみる 体にしみる
 

■ 2006/11/02 (Thu)  学生の質問

夕方1年生の学生I君が、宿題について質問にきた。ちょうど学内会議に出ようとしていたときだったのだが、部屋の前の教室で手短かにポイントだけ板書して教えた。会議は比較的短く、戻ってみるとI君はまだ一生懸命、黒板をみながら電卓をたたき解いている。今度は時間をかけて対応した。かなりレベルの高い問題だったが、理解した彼は、ニコニコして、なんと次のような発言をした。

「わかりました。勉強すればわかるんですね。わかってみれば簡単なことだったんですね」

こういう学生がどんどん増えることを願うばかりである。多忙に押しつぶされそうで気がふさいでいたのだが、夕刻ちょっと元気がでた。

■ 2006/11/01 (Wed)  折り返し点

後期の基礎工学実験も前半を終えた。折り返し点。来週からは、これまで物理実験をやっていた学生がやってくる。
 

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