鋲 (学生会 会誌、 2002, 4)
「思えば遠くへ来たものだ」とは武田鉄也が率いた海援隊の唄であるが、振り返るとそんな気分だ。1971年4月に大学生になった。30年前である。このときから4年間、世の中ではどんなことがおこっていただろう。連合赤軍あさま山荘事件があった。沖縄が返還された。田中角栄が総理大臣になった。パンダがはじめて日本にやってきた。かぐや姫の「神田川」の大ヒット、山口百恵、桜田淳子、森昌子の花の中3トリオがデビューしたのもこの時代だ。セブンイレブン日本第1号店が現れたのもこの頃だ。カップ麺がはじめて世に出たことも記憶している。
私が入学する数年前まで、大学紛争の嵐が日本国中を吹き荒れていた。高校2年生のとき東京にあった2つ国立大学が入学試験を中止するという非常事態となった。「大学とは何をするところなのだろうか」と疑問をもちながらも自らも大学生になった。大学紛争は鎮静化していたがキャンパスに、学生(先輩たち)の顔と心に、その後遺症ははっきり残っていたように思う。このあたりから学生の気質は大きく変わっていったのではないか。事実私たちは上級生によく言われた、「お前らは俺たちとはちがう。シラケ世代だ」。大学が大衆化しはじめたのもこの頃だろう。私は新潟県の農村に育ったが、その地域において私より年上の大学進学者をほとんど知らない。しかし年下となると状況は一変する。そんな世代が教室では学生と向かいあい、夜の巷では「親父狩り」にびくつき、同僚との酒席では「今の学生は・・・」とかつて言われたことを口にする。
大学、大学院、最初の赴任先は東京であった。10年前から本学にお世話になっている。名古屋には親類縁者、地縁、友人、なにもなかった。好むと好まざるにかかわらず、しだいに名古屋人になりつつある。思えば遠くへ来たものだ。場所においても、時の流れにおいても。(005)