This is Explanation of Suspension Bridge!!

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南備讃瀬戸大橋

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 南備讃瀬戸大橋は、世界最大の道路・鉄道併用橋である。全長は、 1723m、中央支間は1100mもあるなど、記録づくめの橋とい っていい。
 北主塔は、高さ194メートルとルートで最も高く、東京・霞ヶ関 ビルの1.3倍もある。南主塔はこれに次いで、186mの高さ。ま た、ケーブルは全長1780m、直径1.06m、重量は二本のケー ブルを合わせて、約2万トンあり、ケーブルの直径は世界最大である。
 南橋台も、水深50mの海底から建設したルートで最大のコンクリ ート建造物であるなど、さまざまな特徴を持っている。
 そえだけに、海中基礎工事は、世界で初めてという設置ケーソン (型枠)工法を開発するなど、難工事の連続であった。また、工事開 始にあたっては、番の州工業地帯に近いため、振動などによる二次災 害の発生を防がなければならなかった。潮流が予想以上に速いことも、 技術者を悩ませた。
 こうした難問をすべて解決して、南備讃瀬戸大橋は建設された。


北備讃瀬戸大橋

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 北備讃瀬戸大橋は、全長1611m、中央支間990m、道路・ 鉄道併用橋として世界ランキング第二位の巨大な吊橋。
 南備讃瀬戸大橋と北備讃瀬戸大橋の下を国際航路が通っているので、 橋桁は、海面から65m以上ある。これは世界最大の50万トン級タ ンカーが、らくらく通過できる高さである。
 鷲羽山から瀬戸大橋を眺めると、海峡中央部で、橋桁が次第に高く なっているように見える。これは目の錯覚ではなく、本当に緩やかな 勾配で登っている。列車が通るので急勾配を避け、緩やかに登りなが ら、海面からの距離をとるよう設計されている。
 北備讃瀬戸大橋の北橋台は、与島の丘陵上に設計されている。与島 パーキングエリアのすぐ東側にあたるので、その威容に観光客は圧倒 されることだろう。
 南主塔は、三ツ子島の一部を爆破して、建設された。また、南・北 備讃瀬戸大橋の共用橋台は、二面島の上部を削り取って、建設されて いる。二つの巨大吊橋の綱引きに耐える共用橋台も、世界で珍しい橋 台である。


下津井瀬戸大橋

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 瀬戸内海国立公園の鷲羽山(標高133.5m)のすぐそばに、山 より高い主塔がそびえている。全長1447m、中央支間940m、 道路・鉄道併用橋として、世界ランキング第三位の下津井瀬戸大橋で あり、主塔の高さは北側が146m、南側が149mもある。
 急潮で知られる下津井瀬戸をひとまたぎして、倉敷市下津井田之浦 と、坂出市櫃石島を結んでいる。橋の中央部が、岡山・香川両県の県 境。本州から四国への第一歩となる長大橋である。
 吊橋には普通、主塔の両側に橋台(アンカー)があり、橋桁を吊る 太いケーブルを支えているが、下津井瀬戸大橋の鷲羽山側には、この 橋台が見えない。鷲羽山トンネルの両側に埋め込まれているのである。 土地が狭いことと、瀬戸内海国立公園の景観を守るために、このよう な形になった。これは、世界的にも珍しい工法である。
 主塔の外側に、吊橋特有のハンガーロープがないのも、この橋の特 徴。それぞれ長さが230mと短いこともあり、桁橋になっている。


大鳴門橋


 渦潮で知られる関門海峡は、瀬戸内海国立公園特別地域に位置し、 文化財保護法に基づく名勝「鳴門」にも指定されている風光明媚な観 光地として有名である。しかし反面、海の難所でもある。潮流の速 さは最強時には10ノットを超え、年間を通じて強風の吹き荒れる 厳しい自然条件下にある。難工事の予想されるなか、昭和51年7 月、兵庫県の淡路島と鳴門市の大毛島を結ぶ橋長1629m、中央 支間長876mの吊橋、大鳴門橋の建設が着工した。
 吊橋は、3径間連続2ヒンジ補剛トラス形式で、当面は6車線の 道路専用橋である。備讃瀬戸大橋と同形式の吊橋で、昭和60年6 月完成、淡路島と四国が陸続きとなった。


因島大橋


 昔は歌の島と呼ばれた因島と、村上水軍のロマンただよう向島、そ してその間に紺碧の布刈瀬戸の中空をまたぐように、中央支間770 mのこの吊橋が昭和58年に完成した。関門橋の712mよりひとま わり大きい。


関門橋


 関門橋は、中国自動車道の終点(下関市)と九州自動車道の起点 (北九州市門司区)を結ぶ関門自動車道(延長12q)のうち、関門 海峡の早鞆(はやとも)の瀬戸を跨ぐ吊橋である。
 早鞆の瀬戸は、その昔源平最後の戦いのあった古戦場で、このあた りが海峡の最狭部となっている。  幅700mの 早鞆の瀬戸と呼ばれるこの海峡には、昭和33年に 開通した関門道路トンネルや、昭和45年に工事着手した山陽新幹線 トンネルなど本土・九州間の交通の要衝が集まってくる。関門橋建設 については、当初関門トンネルの著しい交通量の増加に伴うバイパス 的役目を果たすための計画であったが、調査経過の段階で、中国自動 車道と九州自動車道を結ぶ役目を果たす関門自動車道に切り替わり、 完成6車線、暫定4車線の計画で昭和43年吊橋建設が開始された。
 橋は全長1068mの6車線で、3径間2ヒンジ補剛トラス形式で ある。桁下高さは、海狭部を通過する船舶の大きさを考え、61mと している。吊橋の主要部であるケーブルは、平行線ケーブルを使用し、 48年完成した。


レインボーブリッジ


 東京湾の入り口にあたる芝浦と台場の間が平成5年橋でつながった。 2層の吊橋で上層部が首都高速11号線、下層部が臨海道路、臨海新 交通システム、遊歩道からなっている。橋名は一般募集からレインボ ーブリッジと名づけられた。


大島大橋


 本州四国連絡橋の尾道〜今治ルートにある、身近島と大島の間の宮ノ窪瀬戸を跨ぐ吊橋で、昭和62年に完成した。この橋は我が国最初の箱形補剛桁を採用した吊橋である。


平戸大橋


 平戸瀬戸にのぞむ平戸は天然の良港で、我が国の海外交易発祥の地 である。近松門左衛門の国性爺合戦の和藤内の誕生の地としても知ら れている。歴史とロマンの島に、島民の長年の願いがかない、昭和 51年平戸大橋が架けられ、九州本土とつながった。


若戸大橋


 北九州工業地帯の表玄関である「洞海湾」をはさんで相対する若松・ 戸畑の両地区を結ぶこの吊橋は、日本の長大吊橋建設の先駆けとなっ た。
 石炭、任侠、河童の町として知られる若松港は、明治24年筑豊本 線が開通すると、第一の石炭積み出し港となった。当時、出航入り船 日本一といわれたこの町は、石炭仲仕の威勢の良さで九州男児のイメ ージを作り、火野葦平の小説「花と竜」の舞台にもなったところであ る。
 しかし、石炭産業の衰退とともに、道路交通の面において、洞海湾 の存在が逆に若松市の発展を阻害する結果となっていた。昭和31年、 日本道路公団が設立され、有料事業としての架橋計画が進められた。 橋は、全長1734m、吊橋部の主径間は367m、形式は2ヒンジ 補剛トラス型で、当時わが国においては、これだけの吊橋施工技術が 確立しておらず、国産技術を結集して誕生した吊橋であった。これが 若戸大橋である。風への対策については、補剛桁をトラスとし、床面 にグレーチングを張るなどして、耐風対策に十分な対処をとっている。 設計は、アメリカのウォルト・ウィットマン吊橋を参考にしたという ことである。昭和37年に完成した。


此花大橋


 大阪湾に、2010年の完成をめざして、舞洲(まいしま)、夢洲 (ゆめしま)、咲洲(さきしま)と呼ばれる3つの人工島が建設され ている。一番北にある舞洲と既成市街地を結ぶ吊橋が平成2年に完成 した此花大橋である。ケーブルが1本であること、ケーブルを桁に碇 着していることが特徴。


参考文献:「瀬戸大橋・ガイドスペシャル」・・・山陽新聞社、「日本の橋(増訂版)」・・・日本橋梁建設協会編、「切手にみる世界の橋」・・・筆者:佐藤 健


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