黄河文明の源流か「中国最古の城塞」

河南省・西山遺跡の全容

中国河南省鄭州市内の黄河中流沿いにある西山遺跡の発掘調査を進めてきた同省文物考古研究所は12月2日までに、約5300年―4700年前の中国最古といわれる城塞遺跡の全容を明らかにした。同研究所は黄河文明が栄えた同省の殷遺跡より1千数百干さかのぼる大幅穫な都市遺構と見ている。同遺跡の存在は日本の研究者にははとんど知られていないが、中国の研究書は黄河流域でもエジプト文明などとほぽ同時代に〃都市交明〃が誕生していた可能性を示す貴重な遺跡として注目している。西山遺跡の発掘調査は、同遺跡から出土した新石器時代の仰韶(ぎょうしょう)文化晩期の土器などを手がかりに1993年から96春まで、同研究所と中国国家文物局の共同で行われた。同文物局によると、城塞遺跡は長江(揚子江)中流域の湖北省・石家河遺跡(約4千500年前)と同省・屈家嶺遺跡(4千6百−4千年前)が最古とされていたが、西山遺跡はさらに数百年さかのぼるという。最近、「長江文明学術調査団」(総団長・梅原猛国際日本文化研究センター顧問)が基壇を発掘して話題になった長江流域の四川省龍馬古城遺跡(約4千5百年前)よりも古いことになる。

『版築』を確認

河南省文物考古研究所によると、西山遺跡は鄭州市の中心から北へ約23kmの海抜110m台地にある。遺跡全体は約10万平方m、現存する都市遺構は円に近い八角形状で1万9千平方mに及ぶ。周囲を取り巻く城壁は幅5−8m、高さ約3mで、延長約300mの基礎部分が残っていた。城壁外側の壕溝(環壕)は幅7−11m、深さ4m。北門、西門跡も見つかり、外敵に傭えた本格的な城塞を形成していたとみられる。城壁は板で組んだ四角い枠で土を挟み棒で土を突き固めていく「版築」(はんちく)と呼ばれる高度な建築技術が使われていたことが判明。版築による城塞は石家河遺跡跡には見られず、最古の例とされる。城壁構造時の“定礎式”の跡から出土した甕棺(かめかん)には子供を埋葬。殺されたり生き埋めにされたと見られる人骨10数体や腰から下を切られた牛の骨なども出土し、祭祀が行われていた可能性がある。

一夫一婦制

城壁内で住居跡200余りのほか、北城壁の内側からは氏族共同墓地と見られる228基が出土。男女一組や成人男子と子供の各合葬があり、既に一夫一婦制度に移っていたとの指摘もある。同遺跡は同省に点在しているほぼ同時代の遺跡の中で唯一堅固な城塞都市形態を備え、黄河文明の源流であった可能性が高い。発掘に当たった張玉石・同省文物考古研究員は「かなり成熟した都市が栄えていた可能性があり、考古学史上価値が高い」と話す。許順湛・元同省博物館長は「史記」に登場する五帝の初代の「黄帝」の城跡と主張。黄帝は中国の伝説上の帝王とされる堯、舜に先立つ、中華民族のルーツとされる帝王で、話題を呼んでいる。

黄景略・中国国家文物局考古隊専門組織長の話

西山遺跡は中国の歴史上、最古の「古城遺跡」と認定した。四川省成都で最近見つかった龍馬古城遺跡(約4500年前)よりも数百年以上古い。7000−8000年前との説もある湖南省・彭頭山遺跡は盛り土状の原始的な構造なので古城遺跡とは認めない。西山遺跡は世界史上、エジプトのファラオ王朝時代にほば相当するが、居住人口や文化レベルなどは今後の分析に待ちたい。

「参考資料」:中日新聞平成8年12月3日


文責:事口壽男

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Revised 9 Oct. 1996