卑弥呼時代に前方後円墳

奈良の纒向石塚古墳、邪馬台国論争に波紋

奈良県櫻井市の前方後円墳、纒向(まきむく)石塚古墳を調査してい同市教委は11日、同古墳の築造は3世紀h初め頃と発表した。このことから、同古墳が最古の前方後円墳墳の可能性が高まり、那馬台国の女王・卑弥呼のいた時代とも重なる。古墳時代の開始時期や邪馬台国の年代観、所在地論争に大きな波紋を広げそうだ。纒向石塚古墳は全長約95m、定型化する以前の後円部が正円形ではない古い墳形を持つ纒向型前方後円墳の一つ。これまでの7次の調査では出土土器から築造時期について二つの説が対立。今回の第8次調査では初めて墳丘中心部が調査された。その結果、墳丘内から3世紀初めごろの土器が出土、それより新しい土器は一片も出土しなかった。墳丘は周囲の土を掘って盛土したもので土器は当時使われていたものが盛り土に混入したと見られることから、築造はこの土器が使われた3世紀第1四半期から第2四半期のごく初めとみられる。築造年代は3世紀初頭、3世紀後半の二説があり近年は三世紀後半とする説が有力だったが調査結果はそれを否定、同古墳が最古の前方後円墳である可能性が高くなった。

箸墓より前可能性大

寺沢薫・シルクロード学研究センター課長補佐(考古学)の話。墳丘の中に土器がたまたま入った可能性もあり、3世紀前半よりも古くはない、と上限を示すにとどまると考えてる。ただ、纒向石塚古墳が箸墓古墳よりも古い可能性が高くなったことは大きな成果。(定説とは違い)箸墓よりも前に、纒向石塚などから前方後円墳が造られ始めた可能性が強まった。 古墳時代:弥生代に続く時代区分名で、高い墳丘を持つ古墳が築造された時代。前方後円墳を重視して「前方後円墳の時代」と呼ぶこともある。開始時期は、定型化した前方後円墳、箸墓古墳が出現した3世紀後半とする意見が強いが、纒向石塚古墳など定型化する前の古墳があるとして、3世紀前半とする説も出ている。だが、纒向石塚古墳を古墳ではなく弥生時代の「墳丘墓」とみなす説もある。

「参考資料」:中日新聞平成8年12月12日


文責:事口壽男

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Revised 9 Oct. 1996