幻の百済大寺か

飛鳥時代で最大金堂基盤

奈良県桜井市吉備の吉備池廃寺を調査していた奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部と同市教委は27日、「廃寺跡から飛鳥時代最大の金堂の基壇が見つかった。廃寺が639年に舒明天皇が造営を始めたわが国初の官寺(国立寺院)である百済大寺(くだらのおおでら)跡である可能性が高い」と発表した。百済大寺は飛鳥地方に7世紀に建立された寺院で唯一、所在地が全く不明だった寺で、わが国の初期仏教史を書き換える第一級の発見となりそうだ。

初の国立寺院

日本書紀にも記述

発見された基壇は長方形で、東西約36.2m、南北約27m。高さが約3m。長方形で高いことから塔や講堂ではなく金堂(本堂)の基壇と判断した。この基壇は飛鳥寺(明日香村)山田寺(桜井市)法隆寺(斑鳩町)など飛鳥時代に建立された寺院の金堂の基壇を大きく上回り、これをしのぐ基壇は8世紀初めに造営された大官大寺の金堂基壇(約53mX約28.5m)まで現れない。一方、出土した瓦は基壇の大きさに比べごく少量だった。瓦の文様の特徴から643年に金堂の工事が始まった山田寺より若干古く、同調査部は瓦の年代は640年ごろと判断した。焼けた痕跡がなく一種類の瓦しか出土ないことから、寺は完成後間もなく移転し、瓦の大部分はその際、別の場所に運ばれたと見ている。 同調査部は@金堂基壇が非常に大きく豪族の氏寺ではなく天皇や朝廷がかかわったとみられるA瓦から造営時期が640年ごろG存続期間が短いC出土した亙が少なく別の場所に移築された可能性が強い‐などの理由から、吉備池廃寺は、639年に舒明天皇の命でわが国初の官寺として造営が始まったと日本書紀に記述があり「幻の大寺」とされる百済大寺跡の可能性が高いとしている。
大協潔・近畿大助教授(考古学)の話:飛鳥でこれ以上寺院址(し)が見つかることはないだろうと思っていたので、7世紀を通じて破格の規模の金堂を持つ、これほど巨大な未知の寺院址が見つかるとは驚きだ。これだけ考古学データがそろうと吉備池廃寺を百済大寺の最有力候補と見なければいけない。
和田萃・京都教青大教授(古代史)の活:百済大寺は大王家が最初に建てた寺で仏教史では意味合いが大きい。基壇規模などから吉備池廃寺が百済大寺である可能性はかなりある。だが香久山の西から北には当時、百済と呼ばれた地域があるが(香久山の北東に当たる)吉備池廃寺の方まで百済と呼ばれていたかどうかは疑問だ

百済大寺

 日本書紀などによれば舒明天皇11年(639)7月に詔で百済川のほとりに大宮と大寺の造営が始まった。673年に百済から高市(たけち)に移され高市大寺と改称。高市大寺の所在地は橿原市木之本町が有力。677年には大官大寺(明日香村)となり8世紀初めに金堂が建てられたが、平城京遷都後の711年に焼失し716年に平城京に移転し大安寺となり現在に至る。

「参考資料」:中日新聞:平成9年2月28日


文責:事口壽男

Back to Hisao KOTOGUCHI's HOME PAGE

Revised 9 Oct. 1996