島根の加茂遺跡

近畿と「兄弟」銅鐸は6組

島根県加茂町の「加茂岩倉遺跡」で発見された34個の弥生時代の祭具・銅鐸(どうたく)のうち、近畿周辺の遺跡から出土した銅鐸と同じ鋳型で製作された〃兄弟〃銅鐸が、少なくとも6組7個あることが29日、京都国立博物館の難波洋三考古室長の鑑定で分かった。近畿と出雲の密接な関係をうかがわせるだけでなく、これらの銅鐸が出雲製作との見方が浮上、出雲が銅鐸祭祀(さいし)圏の中核の一つとなっていた可能性が出てくるなど弥生社会の研究に大きな波紋を広げそうだ。

34個のうち、洗いの終わっている17号鐸は既に、奈良県出土の上牧銅鐸」と兄弟と判明。この日の難波室長の鑑定で、神戸市「桜ケ丘神岡3号鐸」と鳥取県「上屋敷銅鐸」との三兄弟の可能性があるとみられていた34号が兄弟に問違いないことが確認された。加茂岩倉が〃長兄〃らしいという。

さらに、4号と22号が和歌山市の「太田黒田銅鐸」と3兄弟、21号が兵庫県豊岡市「気比4号鐸」と明治大所蔵銅鐸(出土地不明)、伝大阪府堺市山土銅鐸と4兄弟になることが分かった。

加茂岩倉遺跡からは、4段階ある銅鐸の形式のうち第2段階の外縁付鈕(ちゆう)式と第3段階の扁平鈕式が見つかっているが、兄弟関係はいずれも外縁付鈕弍。

出雲製作の見方も

兄弟銅鐸は従来一方が近畿圏で発見されており、近畿が銅鐸祭祀の中心で、兄弟銅鐸は近畿から地方に渡ったとみられてきた。今回も一方が近畿圏という点では同様だが、出雲から近畿一円の各地に渡ったと見ることができることから、従来の見方の見直しも必要となってきそうだ。 難波室長は、「加茂岩倉のような、やや大型で飾り耳の付く扁平鈕式は近畿ではあまり見つかっていない。憶測だが、この形が出雲の地域的なものかもしれない」と話している。

「参考資料」:中日新聞平成8年10月30日: 関連No.10


文責:事口壽男

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Revised 9 Oct. 1996