名四国道〜現在の23号線

名四国道、名古屋〜四日市市問を結ぶ陸上貨物輸送路、現在は23号線と合体し名古屋〜伊勢間を結んでいる。名四国道建設は、昭和29年〜31年のあいだ調査した結果、当時の名古屋〜四日市市間を結ぶ陸上貨物輸送路としては国道1号線と国鉄関西線(現在のJR)の2本のルートのみであり、物資流動調査よれば、全輸送量の75%か国道1号線をつかつて運ぱれている状態であった。また昭和26年頃から高度経済成長の兆しがみられ始めた時期でもある。当時、自動車によるdoor to door の考えが広がり近距離輸送はすぺて道路に切りかわりつつあった。産業の拡大均衡と共に、貨物輸送の道路への依存率は大きく増進の一途をたどると考えられた。
 国道1号線に関しては,名古屋市寺部通より四日市市追分に至る約45kmの内,交通量が既に飽和点に達し舗装拡巾の余地のない区間17.2km,舗装の拡巾をおこなっても,2〜3年で飽和点に達すると予想される区間15.6km(全延長の73%)であり、当分の交通量に耐えられる道路は僅か全延長の27%であった。今の舗装は施工後約20年を経過しており,将来の交通情勢を考えたとき,抜本的な対策を講じなけれぱ中京産業界に重大な問題を引き起こすと考えられた。

この事から,2案が講じられた。 第1案は、現在の国道を拡巾し交通容量の増加を計る。第2案は別に新しい国道を設けるということであった。 第1案については道路両側にすでに多くの人家その他の諸施設の移動等に巨額な費用を要し改良費に対比してその経済効果も少ない。 第2案は交通状態の緩和、および新たに臨海工業地帯とこれに関連する工業地帯が育成されることになる。伊勢湾沿岸の港湾を繁栄させ,愛知県,三重県の産業の発展を促進させることとなる。また名四国道は距離的に考えても約7kmの短縮となり,総合的な経済効果は極めて大なるものがあると考えられた。昭和30年〜32年に着工までの説明陳情などを行い,道路10ケ年計画とし総事業費109.94億円,延長39,919mの名四国道が造られ今に至る。内容としては,道路巾員は原則として21.0m(車道14.0m、歩道各3.5m)とし,市街地については立体交叉,その他橋梁については,下記に表として記す。  昭和32年5月より着工し、10ケ年計画で、昭和43年に完成した。建設当時は有料であったが、現在は無料である。

参考文献
名四国道 建設計画資料・市史編纂室/編



文責:96C056 田中伊吹

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Revised 9 Oct. 1996