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  • #19:先入観にとらわれず、好きなことを突き詰める。その先にはきっと新しい世界が見えてくる。

情熱主義

#19

先入観にとらわれず、好きなことを突き詰める。その先にはきっと新しい世界が見えてくる。 工学部 建築学科 かおりデザイン専攻 棚村 壽三 先入観にとらわれず、好きなことを突き詰める。その先にはきっと新しい世界が見えてくる。 工学部 建築学科 かおりデザイン専攻 棚村 壽三

棚村壽三先生は、中学生のころ、実は高校進学を考えていなかった。学校の勉強に興味が持てず、中学卒業後は自分で商売をするか、職人になるために誰かに弟子入りするかのどちらかを想像していた。しかし、「高校くらいは卒業してくれ」と親の猛反対に遭い、ものづくりが好きだったということから、普通科ではなく機械科の高校へ進むことにした。

高校では、機械科ならではの金属材料や溶接、切削加工の実技を学んだ。学んでいくうちに自分にはものづくりが向いていないと感じ始め、自分が職人のような技術を身に付けるのは無理だとわかった。機械科の学びにも限界を感じ始めた高校生活において最も大きな収穫は、プログラミングを学んだことだった。コンピュータには中学生のころから触れていて、インターネットやパソコン通信を楽しんでいた。

高校でプログラミングを学んだことで、コンピュータは遊びの道具から、「何かを創り出す」道具へと変わった。自分でプログラムを書いてLEDを光らせてみたり、ロボットを動かしたりなど、当時の棚村少年にとって想像力をかきたてる魅力的な世界が、そこに広がっていた。自分が職人技を体得しなくとも、コンピュータならば正確にものを創り出すことができる。学んだ知識を基に何かを生み出す、そんなコンピュータの無限の可能性に触れて、棚村先生は、新たな世界の扉が開けた気がした。

「知識は使いよう。活用しなければ意味がない」。

大学は、建築学科を選んだ。機械科出身だから周りは進学するなら機械工学科に進学するのが普通だったが、飽き性であまのじゃくな棚村先生にとって「機械は高校でやったからもういい」という思いがあった。
4年次、第一希望の研究室への配属希望はかなわず、「環境工学」をテーマとした研究室に配属された。研究室で与えられたテーマは「においの計測」。まさに「におい」との運命の出会いだった。

棚村先生

だが研究室で最初にしたことは、「におい」の研究ではなく、研究室内のコンピュータ環境の整備だった。当時の研究室の通信環境は貧弱で、コンピュータも最新機種から骨董品レベルのものまで存在し、サーバーなどの設備も十分整備されていない状態だった。さらには、誰かが電子レンジで弁当を温めたりすれば、突然ブレーカーが落ちて、研究室内のパソコンが一斉にダウンしてしまう事故もしばしば起きた。そのような環境を改善するため、一人でコツコツとコンピュータの入れ替えやケーブルの取り回し作業を楽しんだ。誰でもできるはずのことだったが、その研究室には誰もそこに問題意識を持つ者がいなかったのである。高校時代の学びとはまったく異分野の世界へ飛び込んだからこその気づきだったのかもしれない。

それ以降、「電気とコンピュータは棚村にまかせよう」という評価が広まった。特別なことは何もしていない。与えられたその環境を当たり前だと思わず、もっと快適な環境にできるはずだと思い、持ち合わせている知識をつなぎ合わせて問題を解決しただけだ。しかし、断片的な知識であっても、それを生かせる場所があること、そして問題意識を持つことの大切さを知った。

企業とのプロジェクトが大きな転機に。

棚村先生が研究室で今日につながる専門分野の研究に着手したのは、研究室に配属されて半年ほど経過してからだった。きっかけは、大手の電機メーカーや住宅機器メーカー、それに電力会社が参加して、画期的な空気清浄器を作るという、かなり大きな規模のプロジェクトだった。棚村先生が所属する大学のチームは、これまでにない新しい空気清浄器を製品化するというプロジェクトにおいて、においが除去されているかどうかを証明するために「においを測る」という重要な部分を任せられたのである。チームの中で棚村先生は、主に回路を組み立てること、そしてコンピュータによる計算とデータ処理を任された。

棚村先生達は膨大な実験を重ねてそのデータによって、においが確実に除去できていることを証明できた。その新しい空気清浄器は華々しくデビューしたが、結局その商品は売れなかった。膨大な開発費をかけたプロジェクトであったにも関わらずである。

棚村先生

ビジネスとしては失敗に終わったが、研究に取り組んだ5年間で、棚村先生は「世の中はこうやって変わっていく」ということを学んだ。既成概念に捉われず、熱意を持ってこだわり抜く。今もなお、棚村先生の芯にある、小手先ではなくできる限り根っこのあり方を見直すという「仕事に対する哲学」は、このとき学んだものだ。

しかし、すばらしい構想があり、優れた人々が集まり、高い理想を持って始まったプロジェクトが、あえなく失敗に終わったことで、棚村先生は強い挫折感を味わった。世界的に見てもトップレベルの装置だったし、棚村先生たちもこのプロジェクトを通じて、新たな評価方法を開発することができた。研究としては成功したが、事業としては失敗して終了した。なぜ失敗したのか、原因を探りたいと思った。この失敗が、棚村先生が心理学や経済学、マーケティングを学ぶようになるきっかけとなった。

「好きなことを、突き詰めて考えて、納得して動くこと」。

教員となって学生を指導する立場になってみると、ますます疑問に思うことが多くなった。学生に「好きなことは何」と質問すれば「特にない」。「何をしたいの、どんな生活を送りたいの」と質問すれば、「普通に就職したい」とか「幸せな結婚がしたい」といった回答が多く返ってくる。そこで、普通ってなんだ? 幸せってなんだ? 固定観念に流されすぎているのではないかと感じて、もっと具体的に考えて行動してほしい。本当にそれが自分に合っているのか、自分にとって幸せなのか、確かめないといけないと思う。確かめないから、後で後悔する。
何となく感覚でわかっているだけではなく、何事も客観的に、数値で表してみて初めて判断に足る材料になる。判断ができれば合理的に行動でき、間違いが少なくなる。

棚村先生

勉強嫌いだった棚村先生が、好きなことだけをやり続けて、必要な知識やノウハウのピースを集め続けて来れたのは、その都度、疑問に思ったことを解き明かすため、さまざまな分野を学んできたからだ。そもそも勉強が苦手だったし、におい・かおりの分野が初めから好きだったわけではない。いつも自分の置かれた場所で、好きなこと、得意なことを通じて役割を担い、問題に直面し、解決のために試行錯誤していたら、その分野の専門家になっていた。

さまざまなことを経験し、学んだ結果、やっと、物事が見えるようになってきたと思う。
その自負を込めて、先生は言う。
「先入観にとらわれずに当たり前だと思っていることをまず疑ってみよう。そしてどんなことでもいい、学ぼう。そして実践してみよう。新しい世界が見えてくる」。

学べば学ぶほど、新しい世界が見えてくる。学べば学ぶほど、自分はいかに物事を知らなかったかがわかる。今まで自分が信じていたものが、実は思い込みだったことに気づく。さまざまな思い込みが、視野を曇らせている。
ひとつ見えれば、また次を見たくなる。知的好奇心はどんどん高まり、止まらなくなる。楽しくなる。行動せざるを得なくなる。
見なければならない、知らなければならない世界は、無限にある。

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